北陸石仏の会第70回例会令和8年5月31日 南砺市旧井波町・神社の不動明王を開催しました。 川野明正日本石仏協会会長

北陸石仏の会第70回例会(令和8年5月31日)「南砺市旧井波町の石仏・南砺市の神社の不動明王」の見学会を晴天の日に行われました。川野明正日本石仏協会会長(明治大学教授)や東京大久保修氏らの参加を得ました。

北陸石仏の会(日本石仏協会北陸支部)第70回記念例会(令和8年5月31日)

南砺市旧井波町の石仏と同市神社の不動明王の見学会

前半は尾田武雄氏(同会事務局)、後半は滝本やすし副会長のご案内でした。周到なご準備と詳細なご教示に篤く御礼申し上げます。

全般的に南砺市の石造不動明王坐像を主題とする見学会でした。不動明王は、大岩山日石寺の磨崖仏不動尊(大岩不動)が範型となっていて、そのため像容は一定的で、すべて坐像。半跏像・立像はなく、彩色するものが多かったです。たとえば迦楼羅(ガルダ)が火炎光背に浮かぶものはなく、前日30日に平井一雄会長にご案内頂いた富山市内円福寺跡の不動明王立像で迦楼羅炎を描いたものを拝観できました。石工森川栄次郎の作品や、その他の石工の作品などさまざまに拝観致しましたが、表情に温和さを漂わせた不動明王ばかりで、「母が子供を叱る」がごとき、愛ある憤怒相の不動明王の数々は、菩薩行のあるべき姿を示しているかにも思えました。

大岩山日石寺を中心とする不動明王信仰は、平安時代・江戸初期・幕末から明治期に興隆の波がありますが、明治期は、眼病の治癒など、庶民信仰として隆盛したものとのこと。

また、聖徳太子二歳像は、井波の本願寺別院である瑞泉寺の二歳像をもとに、周辺四キロ外に広まった砺波地方独特の信仰習俗で、明治二十年から大正7年にかけて288躯の像があるとのこと。廃仏の時代に大谷派は苦難を強いられたものの、信徒の力と本願寺からの資金貸与で瑞泉寺を再建したあと、聖徳太子二歳像は、明治二十年代信徒たちが相撲・盆踊り・巡回などを行って資金を集め、太子堂を建てました。中心はやはり聖徳太子を祖師に報じる石工等の職人が多かったといいます。

聖徳太子二歳像は、袴を緋色、お顔を雪のような白さということで、袴は着色されています。前日平井一雄会長のご案内で、富山市内にある東限の聖徳太子二歳像を拝観しましたが、こちらも移住した家が瑞泉寺聖徳太子二歳像を模刻したもので、やはり砺波の信仰を心の支えとして造立したものでした。

また砺波型の狛犬も各神社でお会いしましたが、左右両狛犬とも阿形で、阿形は玉を咥え、三本峰に脇房二本の華やかな尾をもち、石工森野善四郎が狛犬のみに専念した作品が多く、明治後半から大正期にかけて奉納されています。

(写真は南砺市東城寺八幡社の不動明王像〈明治二十八年・石工森川栄次郎〉と南砺市井波坂ノ下不動堂の聖徳太子二歳像です)

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