『忘れられた阿弥陀』 ―代理苦の貌を追って ―         桑久保紀代子

尾田武雄氏のご著書『忘れられた阿弥陀 ―法蔵菩薩(五劫思惟の阿弥陀如来)像の研究―』を拝読いたしました。本書のように「やせ仏」という極めて特異な造形に焦点を当て、全国的な調査に基づき解説された書籍は他に類を見ません。

表紙を飾る血の涙を流す阿弥陀さまの姿と『忘れられた阿弥陀』というタイトルは、手に取る者に強烈な印象を与えます。今年1月に開催された石仏写真展で尾田氏が出品されたやせ仏の写真を拝見した時、その凄まじいお姿と眼差しに釘付けになったことを思い出しました。本書を読み進める中で、あの時の衝撃が単なる造形美を超えた、深い悲しみと慈悲の結晶であったことを知りました。以下は一石仏ファンの視点から、本書の魅力を辿りながら感想を述べさせていただきます。

やせ仏とは何か

 一般に「五劫思惟(ごこうしゆい)の阿弥陀如来」といえば、京都の金戒光明寺にあるような気の遠くなるような長い時間(五劫)の思惟によって髪が伸び放題になった、ふっくらとしたお姿が思い浮かべられます。しかし本書が主題とする「やせ仏」は、その思惟の極限においてすべての肉が削ぎ落とされたお姿を指します。

 これは釈尊の苦行像とは異なり、法蔵菩薩(阿弥陀如来の前身)が衆生を救うための四十八願を立てるべく思惟に没頭した結果、飲食も忘れて痩せさらばえた姿を表現したものです。そのお姿は単なる肉体的な衰弱ではなく、人々の苦しみを一身に引き受けて苦しまれる「代理苦」のお姿であると解説されており、その精神性の深さと、慈悲という言葉の真の意味を突きつけているように感じます。

全国の状況と分布

 本書の白眉は、これまで断片的にしか知られていなかったやせ仏が実は全国各地に存在していることを明らかにした点にあります。尾田氏の丹念な足跡を辿ると、富山県を中心に、石川県、福井県の北陸地方、さらには広島県、山口県、島根県、愛知県、大阪府、香川県、京都府、滋賀県、岩手県、福岡県にまでその分布が及んでいることがわかります。

特に富山県内における分布の濃密さは驚くべきもので、富山市内だけで21体、旧大山町周辺にはさらに多く、全体で34体もの石造や木造、絵像が確認されています。これほどまでに特定の地域で大切にされてきた背景には、真宗信仰が「門徒の国」として深く根を下ろしたこの土地ならではの歴史があるのだと感じさせられました。

凄絶な造形について

 やせ仏の造形は、見る者がゾッとするほど鬼気迫るものがあります。本書で紹介されているそれぞれの像の解説からはその凄まじさがより具体的に伝わってきます。

例えば、広島県廿日市市の蓮教寺にある木造像は、「あばら骨が浮き出し、枯れ木のよう」「顔はこけ、目はくぼみ、肋骨が透けて血脈が浮き出している」と描写されています。また、広島市西区の光西寺に伝わる絵像は、頬を伝う赤い血の涙が岩座にまで残されており、その悲痛な表情は見る者の心に深く突き刺さります。富山市上滝の大川寺公園にある石仏は、丁寧な丸彫りで仕上げられながら胸には肋骨がはっきりと浮き上がり、金箔を施したその輝きがかえって痛々しさを際立たせているようです。

 これらの造形は技術的に優れているだけでなく、「極限まで削ぎ落とされた」からこそ放たれる純粋な信仰の叫びのようなものを感じさせます。

歴史の闇と忘れられた理由

 なぜこれほどまでに強烈なメッセージを持つ仏さまが「忘れられた」存在となってしまったのか。本書はその歴史的背景にある「三業惑乱」という教学上の論争に深く切り込んでいます。

江戸時代後期、真宗の教義を巡る激しい対立の中で阿弥陀さまのお姿を「ふくよか」とするか「憔悴」とするかという論争が沸き起こりました。当時は「憔悴像(やせ仏)」が庶民の間で熱狂的に受け入れられましたが、論争の結果この憔悴像は「異端」に近い扱いを受け、表舞台から隠されるようにして歴史の闇に葬られていったのだそうです。

現在、多くのやせ仏は路傍の小さな祠の中や寺院の奥深くに安置され、その由来すら語られることなくひっそりと地域の中に埋もれています。尾田氏はこうした現状を憂い、これらが単なる歴史の遺物ではなく当時の庶民が抱いた切実な救いへの願い、その結晶であることを再認識すべきだと静かに、しかし強く訴えています。

著者・尾田武雄氏の調査と情熱

 本書を読み解く上で欠かせないのが、著者である尾田武雄氏の17年にも及ぶ調査の軌跡です。

尾田氏は、元々は地元の公民館主事として地域の石仏調査に携わってこられた方ですが、その調査姿勢は専門家の領域をも凌駕するものです。資料を読み解くだけでなく、実際に現地へ足を運び、埋もれていた像を一つひとつ掘り起こし、地域の方々の証言を集めていくプロセスには感銘を覚えます。

 あとがきでは、喜寿を迎えられて体力的にはきつくても、この調査を完遂しようとする尾田氏の使命感が綴られています。そこには「忘れられた阿弥陀」を現代に呼び戻し、その心を次世代に繋げたいというお気持ちが、調査対象であるやせ仏の精神にも重なるように感じました。 

結びに代えて

尾田武雄氏による長年の、そして執念ともいえる詳細な調査・研究が凝縮された本書は、石仏関係者にとって研究書を超えた重みを持つ一冊だと感じました。

劇的な表現でなく事実に即して一歩ずつやせ仏の正体に迫っていく姿勢からは、対象への深い敬意を感じます。この本をきっかけに、今も各地でひっそりと座っている「忘れられた阿弥陀」に再び光が当たり、その凄絶なお姿の裏にある限りない慈悲の心が多くの人に伝わることを願ってやみません。私自身も、本書を携えて各地のやせ仏さまと向き合う旅に出たくなりました。そこには、忘れ去られていたとしても変わらずに私たちの苦しみを見つめ続ける静かな微笑みが待っているはずです。素晴らしいご著書をご恵贈賜り、心より感謝申し上げます。

忘れられた阿弥陀 法蔵菩薩(五劫思惟の阿弥陀如来)像の研究 – 北陸石仏の会

 日本石仏協会会員 桑久保紀代子

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