聖徳太子南無石仏の展開

聖徳太子南無仏の広がり 砺波郡の開発と信仰 砺波郡は加賀藩の穀倉地であった。1646年(正保3)には本高が約二十万石であったが、1870年(明治3)には二十七石になり、新田開発が進んだ。この地は真宗王国といわれ、真宗門徒...

南砺と高岡に逆立狛犬

 真言宗の古刹芹谷千光寺は、砺波市東部の国道三五九号線の県民公園頼成の森近くにあり、栴檀野段丘を蛇行して流れる和田川べりに鬱蒼とした杉木立に囲まれた伽藍が芹谷山千光寺である。寺に残る縁起によると七〇三年(大宝三)、天竺(...

坪北のなかよし地蔵

 散居村の広がる高波の坪北の東島には、坪北新村、高儀出村、北高木村、放寺新村の四か村が複雑に入り込んでいた。これらの村々は、ここはもと北高木村領であったが、未墾地として残っていた所を坪内・竹・高儀の各村から出た人々が開墾...