聖徳太子南無仏の広がり
砺波郡の開発と信仰
砺波郡は加賀藩の穀倉地であった。1646年(正保3)には本高が約二十万石であったが、1870年(明治3)には二十七石になり、新田開発が進んだ。この地は真宗王国といわれ、真宗門徒の勤勉、節倹、正直、忍耐それに堕胎、間引きがないことなどが開発の原動力になった。
開山親鸞聖人は『親鸞伝絵』によれば1203(建仁3)四月五日に聖人が六角堂で救世菩薩の夢告を受けて、多くの人々に念仏の教えを説いていこうと決意され、この救世菩薩の化身が聖徳太子といわれ、真宗地帯では聖徳太子信仰が盛んな地域が多い。
井波別院瑞泉寺と聖徳太子