聖徳太子南無石仏の展開

聖徳太子南無仏の広がり 砺波郡の開発と信仰 砺波郡は加賀藩の穀倉地であった。1646年(正保3)には本高が約二十万石であったが、1870年(明治3)には二十七石になり、新田開発が進んだ。この地は真宗王国といわれ、真宗門徒...